すきなものとか

すきなもののはなしとか、話したいこととか

アイドルにさよならをしたはなし

担降りとかではなく、個人的に、生の嵐さんとさよならをして来たという話です。


あの日、私は職場のロッカールームでその報せを知りました。あと数分で出勤という頃でした。なにもかも一度忘れて、とにかく笑顔をお客様にも同僚の方にも向けて、ニコニコ働きました。迎えに来てくれた母の車の中でぼろぼろと泣きました。


嵐さんを認識した当時、私は不眠症不登校の中学生でした。夜がとにかく長くて、日中は起きてなくてはいけないのに眠くて、とにかく人の声がうるさくて仕方なくて、部屋に引きこもっていました。

そんな頃、家族が嵐さんを好きになり、家に嵐さんの声がするようになりました。ジャニーズにあまり興味のなかった私は聞き流していましたが、なんだかんだ嵐さんを見るようになり、とうとう「Crazy Moon~キミ・ハ・ムテキ~」の、なんの番組だったか覚えてませんが、二宮さんの視線の流し方に落ちました。そこから、私の嵐さんが本格的に息をし始めました。


長い夜を嵐さんと過ごすようになりました。嵐さんに触れていれば、長い夜もなんとか過ごす事ができました。すきなものができました。私は救われたと思いました。深夜不安になっても電話をしたって当然誰にも出てもらえなくて、一人で泣いてばかりだった夜が、明るい声がするようになりました。高校を卒業する頃にはなんとか不眠症とも折り合いがついて、すきなことをするために遠方の大学に進学する事も出来ました。


その頃、私は挫折という物を知りました。これまで人より優れていると思っていた事が全くそんな事は無く、人並みでしかなく、つまり私には取り柄という物がひとつもなくなりました。すきなことがきらいになって、熱中していたものを失って、私はうまく笑う事も、声を出す事も下手になりました。


母が送ってくれたのは嵐さんのDVDでした。コンサートのDVDと、嵐さんの歌番組を録画したもののDVD。それにはバラエティも入っていました。私は部屋で布団をかぶりながらそれを見て、ようやく泣いて笑いました。


辛い時、人生をやめたくなった時、いつも嵐さんがいてくれました。嵐さんはずっといてくれました。私は勝手に、嵐さんだけは大丈夫なんだと思い込んでました。そんな事はありませんでした。今日、私は嵐さんにさよならをして来ました。


コンサートは去年も行っていたのですが、席が全く違ったので全然違って見えました。何より私の心持ちが違いました。私はこれで最後になるかもしれない。始まった瞬間、嵐さんを見た瞬間には泣き出していました。前半ずっと泣いて、中盤ようやく泣き止んで、かと思ったら二宮さんが目の前に来てまた泣いて、後半もずっと泣いていて、ああ私が嵐さんで泣くのはこれで最後なんだろうなと思いました。


嵐さんの事がだいすきです。だからずっとそこにいてほしかった。スポットライトの下にいてほしかった。嵐を何より愛している二宮さんがだいすきです。私は嵐さんにさよならなんてしたくなかった。休止なんて嘘だって言ってほしかった。それが本心です。でも嵐さんは遠くない未来おやすみを迎えます。誠実に私たちに伝えてくれたおやすみです。


私がこの先辛くなった時、人生をやめたくなった時、もう嵐さんがいないのだと思うと不安で仕方なかった。だけど今は、多分今日だけは、大丈夫だって思います。私は幸せにして貰った。笑顔を作って貰った。だいすきな二宮さんの表情が、ステージで伸ばされた手が見えた。この思い出があれば大丈夫。私は嵐さんの思い出に救って貰える。きちんと、生きて行こうと思います。あなたたちが、五人並んでいる姿がだいすきでした。ありがとうございました。


長い夜も、挫けた日も、ちゃんと救ってくれた嵐さん。嵐さんの未来が、最善である事を願っています。


さよなら嵐さん。私の一等星。どうかいつまでも、散り散りになったとしても、そこで輝いていてください。